オペラグラス/アジアン・カンフー・ジェネレーション(ワンダーフューチャー)
アジアン・カンフー・ジェネレーションの一番あたらしいアルバム「ワンダーフューチャー」からその最終に収められた楽曲「オペラグラス」について鑑賞する。
その前に実は私はアジカンの静岡県富士市ロゼシアターの公演に参戦した。
確か六年前(?)のロゼシアターの公演にも参戦していたが、当時はかなり荒っぽいギター・リリックの応酬だったように思う。そして、今回の参戦にも感じたことだが、まあ日本のロック・バンドの多くがそのような傾向があると思うが、BPMが早過ぎる。
ノルにしても、踵でリズムを叩くノリ方しかできず、ヘッド・バンキングしている参戦者もいらっしゃったが、ヘッド・バンキングするにしては、これではBPMは遅く、又、リズム・パターンの切り替えや多様性から限界があるように思う。
だから、聴衆は、コーラスになったら手をバンドに上下させることしかできない。
「ワンダーフューチャー」は全体的にドラムとベースの硬質と鉄壁が顕著なアルバムである。
私が一番気に入った所は、コーラス、「メインストリートで迷子になった少女がほら」の後に冷静に「トトトトトトト」とドラムが次を示唆している所である。
この「トトトトトトト」がこの曲の宝石である。
作詞は、固定的なアングルが提示できず、厳しく書けば失敗している。
Blowin’ in The Wind /Bob Dylan(Dylan)
「Dylan」というそのままズバリのBobdylanのベスト盤を借りてきたので
そこから「Blowin’ in The Wind(邦題「風に吹かれて」)を観賞する。
収録されているアルバムは、セカンド・アルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」で、その一曲目。このアルバムのジャケットはニューヨークの街並みを、恋人と二人歩いている写真になっている。
ディランを鑑賞するには歌詞が重要だと思われるが、歌詞の構成としては「どれだけの」を接頭に置いた社会への疑問を提示。そして、「敬愛なる友よ、その答えは風に吹かれている」で占める、といったもの。
風は、アメリカ人の感覚としてはヤハウェかキリスト、いずれも神からのメッセンジャーという感覚で捉えられており、だからディランの立場としては、政治家に対して神よりメッセージを受け取った預言者となるわけである。この構造が、ディランを現代の預言者として、ディラノイストなる信者達を多産することになる。
さて、ギターについてであるが、アコースティック・ギター一本でこれが、繊細で、現代に於いてこのような繊細な演奏は見受けられなくなってしまった。
録音した季節を詳しくは知らないが、これはニューヨークに於ける「寒さ」を表現していると思う。そのボーカルも含めてギターのタッチにしろ、これだけ「寒さ」というものを豊かに表現している音源を、私は他に聞いたことがない。
School/Nirvana (Grange Buffet ver)
オフィシャルの作品ではないが、ニルヴァーナの「スクール」のライヴ音源を鑑賞した。
イントロ、ギター・フィードバック・ノイズから一気に6弦E音の開放音と5フラット
A音を使用したリフ(指から血が滴りそうな程高速)をたたみ掛ける。
コーラス部分のコード進行は、C5→A5→Em→D→C5→A5
ということは、キーはCで、リフのEの開放音はEではなくEmのマイナーを排した物でAは本来Amなのだろうか。
まあアメリカン・ハードコアの影響下にあるバンドに音楽理論を持って分析しても
意味がないかも知れないが、これが結果、とても美しい曲になっており
その美しさは、アルバムより、このライヴ音源の方に結晶化している。
カート・コベインのギター・ソロ、ブルース・ロックになりそうなところ、単純にメロディの美しさに重きを置き、カート・コベイン・スタイルのソロになっている。
とにかくこの楽曲のコーラス部分のコード進行に着眼し、色々思索していけば
楽曲制作のヒントになるだろう。